一の瀬高原キャンプ場

ネットを見ていて、気になるキャンプ場があった。

そこを紹介したサイトやブログには、どれも「ワイルド」、「野趣にあふれた」、「不便」、「好き嫌いが分かれる」などの表現がされていて、一体どんなとこなんだろ?と。

早く行ってみたかったけど、週末に台風が来てたり仕事が入ったりしてたんでようやく今週、勝沼から何年ぶりかに柳沢峠を越えて(道が良くなっててビックリした!)、更にそこから頼むから対向車が来ないでくれと願いながら細くて落石が結構転がってる林道を進み、奥多摩は一の瀬高原キャンプ場に到着。

管理人のご夫婦に2泊したい旨をお願いすると、2泊するんだったら「さわぐるみ」がいいんじゃないかと思うけど、とりあえず一回りして気に入った場所に張るのがいいのでは?と言われたので、とりあえず貰った手書きの地図を片手に場内を一回り。

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一番奥の「第1キャンプ場」というところが一番好みだったけど、明らかに荷物の搬入が面倒そうだったんで、結局「さわぐるみ」に。

管理人さんには、「さわぐるみ」への荷物の搬入搬出時には車を近くまで寄せてもいいよと言われたのだけど、そこからサイトのレベルまでは急坂を上り下りする必要があったのだった(^-^;

四往復してあらかたの荷物を運び入れ、流石にタープまで運ぶ気にはならなかった。

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車を駐車場に戻し、テントも張り終え、とりあえずビールを飲んでマッタリして、暗くなったからそろそろ晩飯でも作り始めるか~と思ってた矢先、無情にも激しい雨が。しかも、一向に止む気配ががない。

いつもだったら、炊事棟とかに避難してとかやるんだけど、近くにはない。

(タープさえあれば・・・)

と思うも、後の祭り。
今更、車まで取りに行って雨の中に設営する気力もなかった。

これが野趣ってやつか・・・

荷物で溢れたテントの前室にスペースを作って、ツナ缶をつまみにビールを飲んでたら眠くなってきたんで、そのまま就寝。

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目が覚めたら、翌朝の9時近くになっていた。

とりあえず火をおこして、珈琲を淹れる。

なんかそれっぽい感じになってきたと、自己満に浸ってみる(^^)

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後は、朝からビール飲んで、ハンモックでゴロゴロしながら本読んで、散歩して、水浴びして、腹が減ったら何か焼いて、焚き火しながらウィスキー飲んでと、そんな感じで。

人気(ひとけ)も全く感じなくて、正に俺の王国状態だったです!
(正確にいうと、300メートルくらい離れたとこに張ってた人がいたけど、見えない位置だった。)

会うあわないは確かに分かれるだろうけど、個人的にはかなり気に入った。
ファミリー層とか女性にはちょっとキツいかも。確かに荷物の搬入搬出はちょっと面倒だし、設備らしきものはほとんどないし、トイレはボットンだし(^^)
逆に、一人で来るなら最適か。

しかし、ここに来たら、一層、釣りを始めてみたくなった。来シーズンはやってみるかな・・・

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丸火自然公園キャンプ場

この季節にキャンプするなら、やや高地にある、直接日に当たらない森林サイトがやっぱ好き。
樹木があれば、ハンモックもやれて、余計に涼しさ倍増だし。
ハンモックでゴロゴロしながら本を読んでたら、あまりの快適さに、こんな感じで毎日過ごせたらと心底思ったよ(^^)

8月の土曜だというのに静寂なキャンプ場。
駐車場からサイトまで1〜2分歩かなければとか、区画サイトでサイトもそんなに広くないとか、炊事場が1つしかないとか、あらかじめ富士市役所(林政課 0545-51-0123)に予約(電話可)しとかないとなどはあるけど、個人的には500円なら問題なしかな。家から40〜50分で行けるし。

ランタン消して真っ暗にした時に首筋に何か大きなものが止まって、それがクワガタだったのは流石にビックリしたけど。

奥三河での休日。

春先ほどではないけれど、ストレスが溜まって来たのでキャンプへ。
仕事が忙しい訳じゃないけど、春から生活パターンが変わって、車通勤になったってのが大きいんだろなあ。
今までだったら帰りに飲んだり、仕事以外の人と話したりってのがあったけど、今は仕事場と家との往復で、抜く場所や方法がまだ見つかってない感じ。

で、キャンプは自分にとっては数少ない手持ちの抜く方法な訳で。

森の小国神社で一緒に行く連中と待ち合わせして、奥三河へ向かうも、県境くらいで結構雨が降って来たんで心配だったけど、鳳来寺湖畔のキャンプ場に着く頃には一旦止んでくれたんでよかった。其の後も降ったり止んだりだったけど、テントやタープを張り終えた後だったんで。

先週、モンベルの雨具を買ったばっかだったので、使ってみても良かったかなあ。残念…
(一緒に行った方々はバイクだったので、それなりに濡れたものと思われる(^o^))

キャンプ場は、放し飼いの鶏がお出迎え。
車を横付けできてオートキャンプ状態で300円ってのは悪くない。便所はボットンだったが( ̄Д ̄)ノ

夜にヘッドライトを付けたら虫が寄って来た。
ふとよく見ると、クワガタじゃん!

秋の終わりの花祭りでいつもお世話になっている東栄町はこの隣の町なので、この夜は東栄チキンを食す。

翌朝は、梅雨明けの青空が気持ち良かったので、湖畔を散歩。

国道151号を北上し、下條村の道の駅「そばの城」へ。
この村は、峰竜太の故郷。
ということで、売ってるのものは彼にちなんだものが多かった。微妙過ぎだとは正直思うw

ちなみに、「みどりやきもち」ってのも売ってたが、やっぱ奥さんからきてるんだろな…

昼飯に蕎麦を食ったら心が折れたので、数キロ戻ったとこにあった日帰り温泉に併設されたキャンプ場へ。

濡れたテントを芝生の上で干しながら、昼酒を飲んで酔っては寝て、また起きては飲んで、また寝てと繰り返して気が付くと夜になってたんで、風呂へ。
冷泉で、入った瞬間に掌までつるんっとなる良いお湯だった。

一人消え、二人消えと、帰る時には一人になってたんで、翌日は、せっかく奥三河にいるのだからと長篠の合戦の跡を訪ねてみた。
織田と武田の両軍合わせて五万超えるので、戦いは広範囲な訳で、織田の鉄砲隊が武田の騎馬隊を破ったことで知られる設楽原(写真の馬防柵の向こう側辺りでは、武田軍に1万の死者が出たらしい。)と、戦いの緒戦となった長篠城跡へ。

ここまで来る途中で何度も道を間違え、山の中の細い道を彷徨う羽目になったりしてたら、結局家に帰ったのは夜の八時近くになってしまった。
まあいいか。何した訳じゃないけど色々とスッキリしたし(^o^)

去年の夏ぐらいから、どれだけ長い時間寝ても寝た気がしなくて、疲れが溜まって、冬くらいにはしんどくて仕方がなかった。

それだけでなく、毎日とにかく眠くて仕方がなくて、通常の仕事時だけでなく、どんな重要な会議でも眠気に襲われて、意思に反して居眠りしてしまう始末に。

流石に、これはマズいと思って調べたら、睡眠時無呼吸症候群の症状に当てはまったんで、睡眠専門の病院に行った。

全身にコードを繋がれて泊まりの検査をしたところ、通常の人は全体の1~3割くらいの時間で熟睡してるのに、私の場合は恐ろしいことに僅か0.1%の時間しか熟睡できていないことが判明σ(^_^;)
(写真は、病院のお姉さんが、よく撮ってくださいって言われるんですよ~と、気軽に撮影してくれた(^^))

それでも、中のやや重めの症状らしい。
重症の人はどんだけなんだよ…

という訳で、歯医者に行きマウスピースを作成してもらって、それ以来、それをはめて寝てる。

眠気に襲われる頻度はかなり減ったんで、取りあえず良かった。
ダルいことはまだちょっとダルいのだけど…

去年の夏ぐらいから、どれだけ長い時間寝ても寝た気がしなくて、疲れが溜まって、冬くらいにはしんどくて仕方がなかった。

それだけでなく、毎日とにかく眠くて仕方がなくて、通常の仕事時だけでなく、どんな重要な会議でも眠気に襲われて、意思に反して居眠りしてしまう始末に。

流石に、これはマズいと思って調べたら、睡眠時無呼吸症候群の症状に当てはまったんで、睡眠専門の病院に行った。

全身にコードを繋がれて泊まりの検査をしたところ、通常の人は全体の1~3割くらいの時間で熟睡してるのに、私の場合は恐ろしいことに僅か0.1%の時間しか熟睡できていないことが判明σ(^_^;)
(写真は、病院のお姉さんが、よく撮ってくださいって言われるんですよ~と、気軽に撮影してくれた(^^))

それでも、中のやや重めの症状らしい。
重症の人はどんだけなんだよ…

という訳で、歯医者に行きマウスピースを作成してもらって、それ以来、それをはめて寝てる。

眠気に襲われる頻度はかなり減ったんで、取りあえず良かった。
ダルいことはまだちょっとダルいのだけど…

カンボジア10

最終日に半日時間が空いたので、シェムリアップから50キロ離れたベンメリア遺跡へ、トゥクトゥクに乗ること片道約1時間半。

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日本を出る前は、是非行ってみたい遺跡だったけど、「ラピュタ」の元になったという都市伝説があるみたいで、現地のガイドも、プノンペンの帰りにシェムリアップで拾ったトゥクトゥクのドライバーも、現地に行った日本人のブログも、どいつもこいつも、ラピュタ、ラピュタと五月蝿いから、そのころには、正直、うぜぇ!と思うようになっていた。

ただ、プレアヴィヒアと、その翌日のプノンペンのポルポトの負の遺産を見たところで、自分的にはカンボジアでやるべきことはやり尽くした感があったので、とりあえず暇つぶしに行ってみた。

てか、日本人はともかく、現地の人は、まずラピュタ見てないだろ、俺だってようやく去年見たばっかなのに…とは思ったがw

行ってみたら、観光客ルートは木製の遊歩道がキチンと整備されていたのだけど、そのルートを外れてみたくなるのが人生。

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ちょっとそのルートを外れてみたら、日本語で、あっちだ、こっちだと言ってくる現地の人がいる。
こういうところで日本語で話しかけてくるのは、大概インチキ野郎と相場が決まっている気がするのだけど、遊歩道を大人しく行くよりはそっちに行った方がどう見ても面白そうだったんで、あなたは私をガイドしてくれるのか?いくらか?と先に聞いたところ、納得できる料金だったので、彼にガイドをお願いすることに

これが正解だった。

こんな狭いところを出はいりしたり、

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こんな岩の上をずっと渡って行ったり、

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と、岩の瓦礫をよじ登り、石と石の狭い隙間をすり抜けと、気分は冒険アトラクション!
そんなルートは、よその国から来た人間には絶対に分からなかった。

ただ、この遺跡が破壊されているのは、ガイドさん曰く、ポルポトの所為だということだった…

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建物の上から生えている樹。

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ひと通り見学を終え、トゥクトゥクの場所まで戻ると、この日とその前日は違ったが、それまでの日、私をずっと乗せてくれてたトゥクトゥクのドライバーさんと偶然の再会

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ロクに英語すら出来ない私を、散々助けてくれた。

彼がいなかったら、ホント、この旅行を楽しむことは出来なかったと思う。
感謝の気持ちをなんとか伝えた。会えてよかった。

それにしても、自分の意思をうまく伝えることができなくて困ってる時、ホテルの皆や、トゥクトゥクのドライバーさんたちが集まってきてくれて、何回も助けてくれたことに対しては、感謝してもしきれない。

プレアヴィヒアに日本の皆さんと行って、日本人宿で楽しくやるってのも悪くないのかも…こういうのもありだなと思ったけど、個人的には、やっぱりせっかく異国に旅に出たのだから、言葉が通じない世界で適度に困って、非日常を味わうのが好きなようだ。
なかなかこの感覚を上手く表現できないし、他人には理解してもらうことは難しいのかもとは思うけども。


最後だと思って、飛行機の搭乗前に写真を撮った。
次はいつ来れるのだろう。

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…と、ここで終わっていれば、綺麗に終われたのに、写真撮影の際に搭乗券の半券を落としてしまい、乗ろうとしたら座席が分からず、ちょっとパニックに。
(チケットは、外に落ちていたのを、CAさんが拾ってくれていた。)

人生、なかなか綺麗には生きられないものである(^^)

【追記】
ベンメリア寺院を破壊したのはポルポトというガイドさんの話、現地で聞いた時は、眉唾だなあ…と思ってたけど、帰国してから読んだ本で寺院を破壊する話や、お坊さんに対してひどい仕打ちをする話がが何度か出てきたりしたので、今は、ポルポト派が破壊したのだろうと素直に思ってる。

そういえば、アンコール・ワット付近の林が、水場も近くてキャンプやるにはちょうどいい感じだなあと、行ったその時は思ってたけど、付近の林の中で虐殺があった話を、やはり帰国してから読んで。。。

カンボジア9

【本エントリー内には、見る人にとってはグロテスクな写真が含まれているため、見る際には注意を。】

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(at  ”KILLING FIELDS”)

我々は独自の世界を建設している。新しい理想郷を建設するのである。したがって伝統的な形をとる学校も、病院も要らない。貨幣も要らない。 たとえ親であっても社会の毒と思えば微笑んで殺せ。今住んでいるのは新しい故郷なのである。我々はこれより過去を切り捨てる。 泣いてはいけない。泣くのは今の生活を嫌がっているからだ。 笑ってはいけない。笑うのは昔の生活を懐かしんでいるからだ。(ポルポト)

もともと、ポルポト時代には興味があった。

第2次大戦後にフランスから独立を果たしたカンボジアのその後の混乱期からポルポトが台頭し、1975年に政権を奪取
 ↓
1979年にベトナムの侵攻により政権を奪われる

この3年8ヶ月の間に、「完璧な共産主義社会」を建設しようとして、

  • 学校、病院及び工場の閉鎖
  • 銀行業務どころか貨幣そのものを廃止
  • 宗教の禁止
  • 一切の私財の没収
  • 一切の近代科学を否

などを実現させるため、次のことを行った。

  • 首都プノンペンなどの大都市住民や資本家、技術者、知識人など知識階級から一切の財産・身分を剥し、農村に強制移住させ「集団農場」で農業に従事させた。(極端な食糧難ということもあった)
  • 知識人階級は「反乱を起こす可能性がある」とされ殺害され、革命が成功したことを知り、国の発展のためにと海外から帰国した留学生や資本家も殺された。
  • 子供は親から引き離して集団生活をさせ、幼いうちから農村や工場での労働や軍務を強いた。

こうした非現実的な政策のおかげで、カンボジアは、より一層深刻な食糧危機となり、この期間で、当時の人口600〜700万人のうち、100〜300万人が飢餓や虐殺で亡くなったと言われている。

その結果が、現在の極端な年齢別人口分布になっている。

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  (世界の人口ピラミッド カンボジア)


特に知識人は、知識を持った人間を生かしておくと後で復讐される恐れがあるというために、次の理由で、知識人と見做され、殺された。

  • 前の政権で働いていた人
  • 医師
  • 外国語が話せる人
  • 教師
  • 眼鏡をかけている
  • 手が柔らかい

終わりの2つは、そういうトンデモな理由で殺されたって事例もあったってことだけど、とにかく、そういう訳で医者が足りなくなって、全く字も読めないよう人や子供まで医師にさせられ、ロクに消毒もせずに注射されて傷口が化膿したぐらいならまだましで、子供が手術までした事例もあったらしい。人体実験レベルだよね、それって…

カンボジアの西部に今でも地雷が残っているのも、「地雷は完璧な兵士である」としてクメールルージュが埋設したからだ。

今回の旅行で、色々なカンボジアの人達と接してみて、なんでポルポト時代のようなことが僅か30年ちょっと前に起きてしまったのだろうという思いは、とてもより強くなったので、急遽、シェムリアップから300キロ離れた、首都プノンペンに今でも残るポルポト時代の負の遺産を日帰りで訪ねることにした。

宿の人や、いつも私を乗せてくれてたトゥクトゥクのドライバーさんは、そんな遠くまで日帰りで何しに行くんだ?アホじゃねえの?みたいな感じだったけど、国立博物館見たいからとかお茶を濁しといた。

やっぱり言えないよね。
ドライバーさんとかはある程度年齢も
いってるし、その時代も経験してると思うから。

プノンペンまで行きは旅行者用のミニバン乗り合いみたいのにした。

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道は昔より良くなったと聞いてたけど、まあ道は悪かった。

手入れをしないと、こんなにも悪くなるのかってくらい。
主要な国道の6号線だったのに。その前日に行ったプレアヴィヒアまでの道のりの方がよっぽどマシだった。

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流石に後半は嫌になってしまい、早く着かないかとずっと思っていた。
時間が、最初聞いていたのが所要時間が4時間半のところ、2時間余計にかかってたってのもあったけど。

プノンペン中心部は都会だった。さすがは首都。だけど、ちょっと外れると道は悪路でホコリがとんでもない。
明らかに、マスクは必要。

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シェムリアップからの車を降りた近くで、トゥクトゥクドライバーさんをチャーターしようとしたのだけど、見事に英語すら通じない!

あと、指さし単語帳みたいのを持ってたんだけど、これもダメだった。(ある程度の年齢以上の人が字が読めないというのも、ポルポトの影響なのか?と、このとき思った。違うのかもしれないけど…)

英語が通じる人を呼びに行ってくれたりしてして、なんとかまずは国立のトゥール・スレン虐殺博物館へ。
ここは、元は高校だったけど、ポルポトが革命に学問は不要ということで高校を廃止した跡地を収容所としたところ

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3年弱の期間に、14,000〜20,000人が収容され、無事に生還できたのは7人(8人と書いてあるところもある。)のみとのことで、その方々の写真も掲示されていた。

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ヴェトナム侵攻の際、クメールルージュが撤退時に殺害した14名の遺体が所内に残っていて、その後、50名の遺体が出てきたとのこと。

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トゥール・スレンには、教室内を煉瓦で区切った当時の収容施設、拷問器具、犠牲者の遺骨、14名の遺体の発見状況写真、また、復讐を恐れ、収容者の写真を残らず撮影していたことから、その写真が大量に展示されていた。
また、絵が描けることが判明し、ポルポトの肖像画を描いていたために難を逃れることができた生存者が、当時の状況を描いた絵が幾つも展示されていた。

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独房の部屋割りと思われる。

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見終わって出ようとしたら、中国人と思われる団体が記念撮影をしていた。
その感覚って…と思ったが、自分も頭蓋骨を写真に収めたりしてるから、俺もたいして変わらないなと思った。

続けて、キリングフィールドへ。

同名のアメリカ映画を観た方もいると思うけど、それで有名になった虐殺現場。
同様の場所は、カンボジア全土に幾つもあるそう。
今回行った場所は、「チェンエク虐殺センター」と看板に表示されていた。
トゥール・スレンの収容者の大半は、ここで殺された。

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入口で6ドル支払うと、日本語の音声が入力されたオーディオプレイヤーを渡され、各ポイントでそこのボタンを押すと説明が聞けるシステム。
これが、非常に分かりやすかった。

ここでは「最盛期」には、1日300人の方が、銃弾が勿体無いからと、農機具やハンマーで撲殺されたり、パインツリーの葉っぱで首を切られて殺されたんだそう。
殺してる人も、拒否すると自分が殺される側に回るため、知り合いでもやむなく…

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ここの囲いの辺りで450人の犠牲者が見つかったと書かれていた。
このような場所が無数にあった。

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犠牲者達が着ていた服。

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特に痛ましかったのは、「キラーツリー」と呼ばれてる樹があり、そこで、母親の目の前で、子供の足を持って木に叩きつけて殺した現場が残っていた。
母親の死を子供に見せるのは可哀想だから、との慈悲深い!理由から…

そして、その脇には、子供と母親が埋められた場所が。
そこの箇所だけは、埋められてた遺体は裸であったとのこと…

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ここではこれまで1万人の遺体が見つかったとのことであるが、まだ同じくらいの数の遺体が発掘されずに残っているとのこと。

下の写真の辺りでは、雨季になると、地面から骨が出てくるらしい。

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帰りは、予約入れといた夕方の飛行機までの時間がなくて焦ってたところに、途中、デモがあって道が塞がれ、引き返すとかハプニングもあったり、渋滞が酷かったりなんてとヒヤヒヤものだった。

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だけど、無茶苦茶アクの強いトゥクトゥクのドライバーさんが、30センチくらいある段差を根性で乗り越え近回りしたり、逆走して信号無視したりと、頑張ってくれた(信号無視直後、後ろを向いてドヤ顔された!)んで、なんとか間に合うどころか、空港でバゲットを食う時間もできた。(時間がなくて、この日はそれまで昼飯も食ってなかった。)

まあ頑張ってくれたから、チップでも弾もうか…と思っていたら、それ以上にボラれましたが(-_-;)

元フランスの植民地だけあって、パンは美味かった。
田舎に行っても、パンの屋台とかあったしね。

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カンボジア・アンコール・エアーの、私は恐らく生涯初のプロペラ機に。

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個人的には、無理してでも行っておいてよかったと思った

シェムリアップに戻って、ホテルの従業員やトゥクトゥクのドライバーさん達に、もう帰ってきたのかと呆れられた後、翌日の遺跡行くのをお願い(いつものドライバーさんが予定が入ってしまっていて、郊外だったから不安だったけど、みんなで探してくれた。感謝。)してから街に出て、痛飲。

そういえば、これがカンボジア最後の夜。

【追記】
日本に帰ってから、この時代が知りたくて何冊か本を読んでみたけど、次の2冊がよかった。
上の本は既に絶版だけど、図書館に行けばあるかも。(私のところはあった。)

  • 井川一久編著「新版カンボジア黙示録」田畑書店
  • 『ポル・ポト「革命」史 虐殺と破壊の四年間』 山田寛 講談社

 

カンボジア8

2011年の正月にタイへ行った時、カンボジア国境付近に寄ったので、カオプラビハーンの遺跡に行こうとしたけど、国境は封鎖されていた。

仕方がないので、タイ側のパーモーイデーンから、カオプラビハーンを眺めた。
眼下には一面にジャングルが広がり、焼畑農業と思われる煙がいくつか登っていた。
圧倒的な光景だった。

カオプラビハーンに続く道は鉄条網で封鎖され、パーモーイデーンには、あちこちにトーチカが設けられ、現に国境紛争が起きているというのを目の当たりにした。

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今回、その時のリベンジで、カンボジアのもう一つの世界遺産であるプレアヴィヒア(タイ名がカオプラビハーン)に行ってみたかった。

ただ、一人で行こうとすると、ツアーとかだと下手したら2~3万円してしまい、安く行こうとしてバスを乗り継いでだと2日かかってしまうようだったんで、日本人が多く泊まっているゲストハウスの連中でシェアしてミニバンをチャーターしていくのに運よく混ぜてもらうことになった。

集合場所のタケオゲストハウスまで行くのに、徒歩だと2~30分かかるので、トゥクトゥクを前の日にお願いしてたのだけど、見事に来ない。

もうハラハラし始めて、これはダメだと思ったところ、国道の反対側にモトトップ(バイクタクシー)が停まったんで、慌てて国道を渡って駆け寄り、英語が通じなかったんで、何とか身振り手振りで交渉して乗せてもらい、6:50の出発時間に間に合った。
それでもしっかり乗る前にお金の話はしといたけど(^^)

同行するのは、20代後半から30代前半って感じの社会人の個人旅行者。
女性も2名いた。
皆さん、年末年始の休暇でこっちに来てって感じ。

2時間ほど乗ったところの町で、トイレ休憩。

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水の移動販売車がスピーカーで流していたり、

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托鉢のお坊さんたちが回っているのを見ながらしばし休憩。

恐らく、ポルポト最後の地であるアンロンベンだったと思う。

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さらに1時間ほど乗ったところで、チケット売り場に到着。
ここは要パスポート。

警備の軍人さんか、警察官が、向こうのチェスみたいのをしていた。
そして、犬までユルい!

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ここで車を乗り換えなければならなくて、ピックアップトラック(25ドルの人数割)か、バイクの後ろの選択だったけど、当然のように、ピックアップトラックの荷台を選択!

急激な坂を上がる。
ここに来るまでは、結構モヤいでいて不安だったけど、とんでもなくいい天気。
そして初のピックアップトラックの荷台。
猛烈に気持ちが一同上がる!!!

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30分ほど登ったところで、車を降りて、チケットのチェックを済ませて、後は徒歩。

看板には、”I Have Pride To Be Born As Khmer”の文字が。

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寺院に到着すると、遠くにタイ側の前回私が行ったパーモーイデーンと思われる場所がなんとなく見える。

と、警備していた兵隊さんが、不意に双眼鏡を貸してくれた。なんてフレンドリーなんだ!

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奥の方がタイ。

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坂を上がって行き、2,000リエル紙幣にも描かれた建物を見て、神殿にお参りする。

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崩壊は結構しているが、空の青さとの相性が個人的にはなんとも言えなかった。

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そして先端まで行くと、断崖絶壁の先には、カンボジアのジャングルが一面に広がっていた。

たまらない、としか言いようがなかった。
本当に来れてよかった(^^)

大の高所恐怖症である私も、死ぬ思いで崖から足先を投げ出してみた。
(というか、既に家で旅の計画を考えている時から、少なくとも2回は、自分がこの崖から落ちるという訳が分からない妄想をしていた!)

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一服して(なんと、こんなところでも冷えたビールが売っていた!)、来た坂を更に降りて、タイ国境へ。

鉄条網で封鎖して、国境警備の迷彩服を着た警察官が何人もいた。

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と、なんと、構えていたラ◯フル(当然、実◯入りと思われる)を、私達に貸してくれたではないか!

なんてユルい世界なんだ!!!

地雷に注意の看板。タイ側にも同じのがあった。

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坂を上がって行くと、子供達が遊んでいて、こちらに声を掛けて来て、いつまでも手を振っていた。

シェムリアップ近くの子供は、写真を撮ろうとすると金銭を要求してきたりして、こちらの心も曇ることが何度かあったけど、田舎の子はいいなあ。今は観光客はほとんどいない(そして、日本人率高し。)けど、いずれはそうなってしまうのだろうか…

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再び、ピックアップトラックに乗り込み、坂を下り始める
遺跡にいた2時間は、あっという間だった。
途中には、方々に幾つものの詰所があって、合計で100人以上と思われる兵隊さんがいたのだけど、詰所の前を通るたびに兵隊さんがみんな笑顔で手を振ってきた。
それもなんとも言えない屈託のない笑顔で。
半分泣きそうな、なんとも言えない気持ちになった。
本当にこのプレアヴィヒアに、そして、カンボジアに来てよかったと、猛烈に思った。

チケット売り場に再び戻りそこで昼食を食べて、更にそこから2時間かけて、コーケーの遺跡へ。

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ここのピラミッドは、今まで見た中で一番大きいものだったかもしれない。

ガイドブックやネットでは、ピラミッドの上まで登れないと書いてあったけど、後ろに新しく木造の階段が作ってあった。

階段を登ろうとすると、木のカンヌキみたいのが掛かっていたけど、そこで遊んでいた女の子が、除けてくれた。けど、私の通過後にそれを戻そうとして、手を挟んでしまった。こっちも悲しくなる。

ピラミッドの上からは、360度、ジャングルの光景が。

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帰り道、さっきの子供達が名残惜しそうに後をついてくる

田舎の子供は…(以下同じ)

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7時に出発して、シェムリアップに戻ってきたのは結局8時だった。

行ったメンバーで、パブストリートまで行って、クメールBBQを。
真ん中がジンギスカン鍋みたいに盛り上がっていて、そこで肉を焼き、その周りは普通の鍋になっていて、そこで野菜とかを煮る形。
一回は食べてみたいと思っていたけど、一人ではそうも行かなかったのでよかった。
ま、普通の肉以外にも、クロコダイル、ヘビ、カエルなどの肉もありましたが…

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結局宿に戻って来たのは、10時過ぎ。

ズボンとTシャツを脱いだところで爆睡。

カンボジア7

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元旦だから、朝5時に宿を出て、アンコールワットに初日の出を見に。

それまで、乾期の割には天気が良くなかったけど、ネットで調べたら、この日からよくなる予報だったのと、なんと言っても初日の出だから、この日に決めた。

このシェムリアップは、日中は30℃を超えるけど、この時間は20℃を割り込み、結構涼しいというか肌寒い。
そして私は、前日に出したランドリーがまだ戻って来てなくて、Tシャツ、短パン姿。普段は気持ちいいトゥクトゥクの風が、ややツラい。オマケに虫除けの薬もわざわざカンボジアまで持って行ったというのに、油断してて虫にも刺されまくた…

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みんな考えることは一緒のようで、現地は夥しい人の群れ。しかも、結構日本語が聞こえる頻度が多かったかも。

しかし、まあ、日の出はしっかり見れたので良かった。

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初日に買ったアンコールチケットが切れたので、この日の朝に1日券20ドルを買ったから勿体無いので、急遽予定を変更し、このチケットが使える、郊外にあるロリュオス遺跡群へ。

「へ」と書いたけど、私が「ロリュオス」と言っても、トゥクトゥクのドライバーさんには通じず、しまいには、宿の前にいたドライバーさんたちがみんな集まってきてくれて何とか一生懸命に私を助けてくれようとしてくれた。

現地のクメール語どころか、英語すらロクに話せない私ゆえに、何とか知ってる単語を並べて考えを伝えようとするのだけど、しょっちゅう困ってた。
困っている時に、親身になってもらえると、本当に優しさが骨身に沁みる。

「スカイウェイホテル」という、シェムリアップの街の中心部からちょっと外れたところにあるホテルに泊まっていたけど、そういう意味じゃよかったなあ。
そういや、大阪に行ったことがあるという、日本語の単語がほんのちょっと出てくるスタッフが一人いたな。日本の物価はとにかく高かったって言ってたけど、ここにいれば、そう思うよな。

結局、ロリュオスは、その遺跡群の中の「ロレイ遺跡」の名前を出したら、「ああ、ロレイね!」みたいな感じで解決した。

ロリュオスは、どこも空いていて、まったり遺跡見物。

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カブに4人乗りやら、今日も色々と無茶を見つつ。

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後こっちにいれるのは明々後日までになってしまったので、もう逆算モードでスケジュールを決めなければならず、翌日はプレアヴィヒアに行くことは決めてたんで、明後日と明々後日をどうしようか考えていたんだけど、ロリュオスの帰り道に、明後日はプノンペンに行くことに決めた。

いつも乗せてもらってたトゥクトゥクのドライバーさんに、その旨を伝えると、陸路か、船か?と聞かれたので、陸路と答えると、旅行代理店に連れてってくれた。

長距離バスにしようかとも考えてたんだけど、心が折れたってのもあり、ツーリスト用のミニバンを予約。

そのあと、アンコール国立博物館へ行き、あと、土産物屋やらをオールドマーケットで購入。

宿に戻ってからは、プノンペンでの大まかな旅程を考えたけど、帰りは時間もないこともあって、飛行機で帰ることにして、ネットで予約。

明日、明後日のことを考えると、この時は物凄く不安になっていた。